まるっとまったりまろやかに

趣味であるゲーム実況のことを、日常風景とともにお送りしております

ブログ移転

前回のブログで「引っ越しよりもブログの記事を書くほうが優先だな~」と言ったな、ありゃ嘘だ。
少し興味が湧いてはてブロの方をアレコレいじってたら、こっちの方が使いやすいからはてブロに行くよ。

ここだよ。ブックマークとかしてた方もよろしくね。今までの記事も全部引っ越したよ→→→https://manmaru.hatenablog.jp/

移転を伝えるためだけの記事だから、特に書くことはないのよなぁ…そうだ、麻婆豆腐ってあるでしょ。あれの辛くないバージョンをよく作って食べるのよ。別に難しいことはなく、豆板醤とか辛そうな調味料は抜いて、味噌や豆チ醤入れて、中華スープの元とかも使って作る。市販の元を買ってきて作るのと手間が大差ないから、そうやって作ってる。辛いの苦手な友人も「これなら食える」とムシャムシャ喰ってたからね。

でもなんかこう…麻婆の素みたいなのって売ってたりしないのかね?いや麻婆豆腐の素ではなく、麻婆豆腐から辛味だけを抽出したもの。私は辛いの普通なのよ、でも辛いの食べたい日もあれば食べたくない日もある。そんで甘口食べてる時に急に辛口食べたくなったりする時もあるじゃない?そういう時はまぁ…家にあるラー油かけて食べるんだ。それでも十分に美味しい…んだけれどもね?そうじゃないのよ。

ラー油を入れても「ラー油を入れて辛くなった料理」にしかならない。これは辛い麻婆豆腐ではないのよね。ほら、野菜とひき肉入りの味噌ラーメンに、ゴマとラー油かけて食べても担々麺にはならないでしょう?そんな感じだ。これが料理の難しい所よね。

…え?店に行け?最高にうまい麻婆豆腐?バッカ野郎!!家で好きなように調節出来るから良いってのに店に行けとは何事だ!丸美屋に消されるぞ!!おやおや、明日丸美屋の豆板醤の壺に入れられるのは貴様かもしれんなぁ…ククク…

話を戻す。算数で考えるとさ?「辛い麻婆豆腐ー辛くない麻婆豆腐=辛味」なわけでしょ。つまり、辛い麻婆豆腐を作る時と、辛くない麻婆豆腐を作る時の調味料の差が、辛味ということになるじゃんね。そのはずなのよ。だから単純に豆板醤を打ち込めば辛い麻婆豆腐に戻る!と思ったけどそうじゃなかった。料理を作る過程で豆板醤を入れたことでなんやかんやがあってあの味になるから、単純にそれだけ入れてもだめなのよね…


これ今、香味野菜の香りと共にカネの匂いを感じたんじゃないかい?これさ…かけるだけで(もしくは入れるだけで)辛い麻婆豆腐の味が出せちゃう、そんな中華辛味の素…四川の素みたいなの作れば、これは売れまっせ…CMには周富徳と蒼井優さんに出てもらおう。挑戦者!蒼井優!おっと何かを入れたぞ!美味い!挑戦者の勝利!私の決め手はこれです☆そっそれはぁ~~~!?四川の素!《しっせんかんじる~<<ヽ(´ω`)ノ>><<ヽ( ´)ノ>><<ヽ(´ω`)ノ>>しっせんっのもとっ♪(CMソング)》…よし!これでいこうディレクター!!


ライブドアブログ最後の記事がこんなクソみてぇな内容で良いのかな…良いよな。因みに動画の紹介とか…内容ははてブロに行っても変わらないからそのつもりでな。では今までおばんでした。これからもよろしく

柔らかい衝撃

エキチカ。まるです。
今の今まで駅の地下という意味だと思ってたけど、駅の近くって意味もあるのね…私がよく使う駅の近くにも美味い中華そば屋があるのよ。年間パスポート(トッピング一品無料)を持っている私は、ファストパス奪取をしなくとも悠々と味玉にありつけるのだ。周りにラーメン屋はあるしどこも美味しいのだけど、迷ったらパスのことを思いだしてまんまと通ってしまう。奪取されているのは私の方だ。しかし美味いのでいいのだ、Win-Winだ。

神奈川に来て最初に食べたラーメンがここのだった(はず)。今は神奈川に住んでいるのだけど、前は千葉に住んでいた。千葉市から離れた、どちらかと言えば田舎よりの地域に一年。その前は秋田で五年以上。秋田では二回引っ越ししている。そして実家は岩手だ。

その先々でもよく通いつめたラーメン屋がある。ある時はこってり味噌を食い、ある時は担々つけ麺をすする。仕事がしんどすぎて体を引きずりながら入った時もあれば、休日に午後に起きて凹みつつも腹も減ったのでと暖簾をくぐったこともある。部活帰りに学ランで特盛りを注文したこともあった。

神奈川でラーメンを食べながら今までの馴染みの店を思い出していた。何か文章的に他の男の夢を見ながら抱かれる女性の気持ちみたいな感じになってるな。まぁなったことはないんだが…煮干しの香りに包まれながら「俺気がついたら神奈川にいるわ」という衝撃に再び襲われていた。

高校生の頃は「オレは岩手で大工になるのかなー」と思っていたし、大学生になると「転勤のない会社が条件の一つだわな」とも思っていた。千葉に来た時は「これ以上東京に近づくことはないか」なーんて考えていた。それらの予想はすべて外れたし、なんなら東京を通り越してしまった。

引っ越しが決まる~引っ越す当日は、毎回毎回嫌だなと思ったことはない(引っ越し後は毎度毎度嫌だったが)。「それしかないもんな」という気持ちが一番強かった気がする。諦めというより、まぁなんとかなるだろうな〜という非常に楽観的な考えで、岩手から気がつけば遥々神奈川まで来てしまった。

遠くなった地に思いを馳せると、センチな気持ちにはならずに「自分が思いもよらないことが起こるもんだなぁ」という、ビーズクッションくらいの柔らか〜い衝撃がやってくるのだ。自分が環境の変化に弱いことを知っているし何よりその土地が好きなので「引っ越しをしない」というのは最優先事項の一つだったはずなのだが…地下鉄が数分で互い違いにやってくるほどの都会に来てしまった。

こうなると、再来年には海外にでも住んでるんじゃないか。海外はさすがに嫌だが、嫌なことが起こるのが人生なのかしらと、味玉を一齧りした。

なんかエッセイみたいな文章になったな!まぁこのまま投稿するか〜( ˘ω˘)b
-----
 

ゼル伝!まだまだ恵みは3つだけ。四季の力はようやく3つ。相変わらず進みが遅い私の実況。ただこう見てると…外堀を固めてから本丸を攻めるような実況よね。完膚なきまでに攻略する、みたいな。完璧に攻略してるつもりはないんだけどもね。

開始と同時に本丸に突撃するような実況の方がテンポが良いからちょっと憧れる時がある。というかトレンド的にそういうものの方が流行らざるを得ないよね、皆時間無いからね。まぁ私はやらないけどね~ははんは~ん<<ヽ(´ω`)ノ>><<ヽ( ´)ノ>><<ヽ(´ω`)ノ>>

時空の章を撮った時は、隔週でちょっとずつ実況したので、少しずつではあるけれどもアクションとかギミックを覚えられたんだけども…大地の章はまとめて撮ってるから忘れる忘れる。この実況中にもスコップで雪かき出来ること忘れてるしな!やっぱこういうのはじっくり腰を据えてやりたいなぁ…

四季の精霊達の性格ってバラバラよね。そこすごく可愛い。特に最初に四季の精霊と対面したときの「私が一番に~」の所ね。精神年齢とかも性別も分かれてそう…っていうか精霊って性別あるのかね?○○の女神って言うからには女性の姿をしているんだろうな~って分かるけど。でも四季の精霊の像って今のところ皆女性の形を象ってるから…まぁ像自体、こちらがあちらのために造ったという部分もあるだろうから、本当の所は分からんけどね~

-----
以前から読んでいる方のブログが移転した。なるほどはてぶろ…そういうのもあるのね。その方の書く文章がとても好きで、自分にはちょっと真似出来ないな~と思っている。努力とかでは変えようのない、しかし才能というわけでもない、雰囲気…文章の持つ雰囲気がとても好きなのだ。

だったら私も心機一転別のブログに引っ越すか!と考えたけれど、ブログの外側を変えるのではなく淡々と書きたいものを書くことの方が重要な気がするので見送ることにする。もっといっぱいかきたい。ではおばんでした


繋ぐ関節

肘神様。まるです。
本当にいるんだろうか…いるなら私の肘を治療してほしい。昨日から肘が痛くて小指もしびれるしでね?なんでだべな〜と思って整形外科行ってきたのよ。多分パソコンの使いすぎじゃねぇかな〜って言われた。そりゃそうよな…動画撮るより動画編集する方が時間かかるもんな…(´ω`)

最初はゲームのやりすぎで肘が痛くなったのかと思った。なんかカッコイイよね職業とかスポーツで起こる疾患?ってね。勿論本人は大変なんだろうけど、野球マンガとかでも「アイツは肩に爆弾を抱えてるんだ…」って感じのシチュエーションあるじゃない。あの響きがカッコイイ。でもすごく不謹慎で申し訳ないね。

「まるは虫ポケを愛する余り、肘に爆弾を抱えちまってるんだ…」「なんてことなの!そんな肘じゃ虫ポケを抱きかかえることも出来ないじゃない!」「だがアイツは、それでも虫ポケ実況をするのさ…それがアイツの抱えちまってる『信念』ってやつなのさ…」みたいなね。本当に不謹慎だから私は肘より頭を治療してもらった方が良いね。

プロゲーマーの方って腰痛大変そうよね。肩こりとか。だって仕事でゲームするから、辛くても飽きても上達するために頑張らないといけないんだもんね。厳しい世界だぜ…私なんかゲームで自分を高めたくないもん。精神的に何かを学んだり知識が増えたりすれば嬉しいし、勿論上手くなれたら…と思うけど、ある程度でいい。自分が楽しい範囲(世界の配管工と一つになりたいとか)で上手くやれればそれで良いと思ってるからね。それが許されるのが趣味だけど、仕事や競技はそうじゃねぇもんなぁ…恐ろしや。

そういえばこの前、少しの間整骨院に通ってたのさ。あ、肘じゃなく肩こりで。私は慢性的な肩こりなんだけど、一時期それが酷い時があってね。肩だけじゃなく首や頭まで痛くなっちゃってしんどくて、ゲームもやり辛くて困ってしまってな。それで通って肩だの首だの治療してもらってたんだけど中々良くならなくて。治療自体は真っ当なものだし鍼治療までしてもらったんだけどね?軽くはなるけどまたすぐ痛くなっちゃって。おいおいゲームするなってことかよーって悲しくなってたのよ。

そんなある日、治療が終わった帰り際に院長さんが「まるさん、腕を伸ばして下さい」って言うもんだから、私もそれに従って。院長さんが私の腕を掴んで親指でグニって押した瞬間、今までの治療の中で一番の激痛が走って…オゥンフゥって声出ちゃったもんね。頭の中で爆竹が一つパン!って弾けたかと思った、そんくらい痛かった。院長に「もしかしてと思ったら…やはりそうでしたか」ってめちゃいい顔で言われて。その時は先生のこと杉下右京に見えたもんね、先生でっぷり太ってるけどね。

えーと…体の神経や筋は色んな所と繋がってるんだけど、痛みの感覚も共有することがあるんだそうな。今回一番コってたのは腕の方だったんだけど、その腕の痛みの信号は肩や首を通って頭に伝わると。でも頭が誤認して、肩や首が痛いと錯覚してしまう。すると痛みで肩や首の筋肉が緊張する、そしてコって肩からも本当の痛みが…という一連の流れを説明してくださった。本当はもっとしっかりした説明だったけど、忘れちゃった。

”コるから痛い”というのは本当だけど、最近は”痛いからコる”こともあるというのが分かってきたんだってさ。だから変な話、肩の治療をして肩の小さなコリはほぐれるけど、元の腕からの痛みは残り続けるということもあるみたいで。はぁーほえーと思わず納得してしまったもんね。だって私家で毎晩毎朝ストレッチしてるのに、あんまり良くならなかったんだよ。そりゃそうだよね腕のストレッチはしてないんだもんね。

思えばマウスでカチカチPCカタカタ、料理ジャンジャカ仕事ガリガリやってたら、自然と腕疲れるよね。それが麻痺してたんだべなぁ…その日から院長が教えてくれた腕のマッサージ(といっても簡単なものだけど)をやってたら随分良くなった。院長isゴッド、いや院長is杉下。もし肩こりで困ってる&マウスカチカチする方がいたら、腕のマッサージもやってみると良いよ。指でアチコチ揉めばそれでいいらしいから。後から楽になるからね。勿論今でも肩こりだけど、前よりは楽になった。

しっかし肩こりなんて気にしなきゃいけないほどには、20アァン歳を続けていたのかと思うと怖いね。見た目ではよく大学生に間違われるんだけど、体は正直ということだね。ううやはり運動するしか無いな…運動しながらゲーム出来ないべか。走りながらスイッチやるとか…

‐‐‐‐‐‐


肩こりの話なんかした後にフラダリさんのこと書くのもなんかアレだな…ごめんねフラダリさん。この方のことは実況内で散々アレコレ喋っているので、ここでは沢山は書かないけれども。とある視聴者の方が「自らは世界を浄化させると言っておきながら、以前には主人公たちに対して未来があるような話をしてくる」ということを仰ってて。私もそれ思ってて、最初はなんか矛盾してるよなぁと思ってたんだけど。

ほんで私なりにアレコレ考えてたんだけど…多分あの人は、子供そのものに未来を感じていたんじゃないかなと思うのよね。子供=未来でも良いかも。初めて会った時も、主人公にスイッチを託したことも、自分の目的や背景を語ったのも、そして最後にサナ達と話した時も。あの人は”醜さ”というものに嫌悪感を抱いているけれど、それを一番持ってしまったのがフラダリさんだよ。世界を変えようと醜さに触れ、それを変えられないことを悟り、自らが最も醜いモノになってしまったわけだ。フラダリさんが背負ってたカッコイイ虫のデザインのアレってさ、蝿よね。多分そういう部分でも己の醜さを意識してたんじゃないかなって。

そんなあの人はビジョンビジョンと、新たな世界をと言っておきながら、向いている方向は未来ではないのよ。常に過去なのよね。あの人の「今までこうだったから未来もこうだ」って理屈はまぁ分かる、実に大人らしい理屈だ。でもそうなるかどうかは、本当は誰にも分からない。だのにあの人はそう結論づけた、付けざるを得なかった。過去が持つ醜さから目を背けることをせず、いや眼を逸らすことが出来なくなったから。見すぎちゃった、知りすぎちゃったからね。だからあの人の前に広がる道は、過だらけの絶望の道しかないのかなって。

(ちょっと話が逸れるかな…過去から学ぶことって大切だけど、例えば「戦争によって国は栄えたという事実があるから戦争をしましょう」って結論には、殆どの人は至らない。それは色々な理由があると思うんだけど、その結論というのは自分が過去を見て学んだ結論なわけで、真理ではない。じゃあ当時の人達皆がどう思ってたか、当時はどうだったかってのは、過去に立たないと分からない。だからといって過去に生きた人達が思っていたことが、その世界の真実かどうかは、その人達ですら分からない。現代から過去を見るのと、過去に行ったつもりで現代を見るのとでは、学べることが全然違うと思うのよね。そしてそのいずれも、真実でも真理でもない。書いてみてなんだけど、やっぱり話逸れちゃった。)


しかしサナやセレナ、そして子供達はそうではない。彼らは何も知らない、そして知らないというのは無知というだけではなく「穢れていない」ということにもなるのよね。”フラダリさんの求める世界”にとって最も必要なのは、あの過去を見続ける穢れたフラダリさんではなく、何も知らずに未来を思い描く、彼ら子供らなのよ。

だからあの人は、子供であれば無条件に未来があると考えてしまうんじゃないかしら。あるいは自分ではなく、子供達に未来を創り上げて欲しいと。フラダリさんがそう考えるのは、あの人が醜くなったからなのか、大人だからなのか。それとも王族としての血が、フラダリにそう思わせるのか。

当然これは一つの可能性にしか過ぎないんだけど、妄想空想大暴走したってオールオッケーでしょうよねぇ、論文でも原稿でも無いんだから好きに考えて書くぞ私は(「・ω・)「 てか結局沢山書いてんじゃん!
‐‐‐‐‐‐

動画のエンコしてる合間に、こうやってブログ書いてるわけで、それが終わったらゲームしたりもするわけで…そりゃあ腕を酷使しすぎてるよね。労ってやらないとなぁーでも遠い未来では腕とか足とかも使わずにゲームする日が来るんじゃないかしら。脳だけを繋いで最高の体験を味わったという記憶だけを記録してくれるような、そんなデバイスが登場するかもしれない。でも記憶だけ残されても、もしかしたら脳が「こんな体験をしたんだから疲れてるに違いない」って偽の疲労を作りだすかもね。
ではおばんでした。
記事検索
このブログは?
わたしです うっかり者でのんびり屋が、自らの実況プレイ動画についてアレコレ語ります。


  • ライブドアブログ